公園の歴史

全体の歴史

この付近は、もと「下部田(しもべた)山」あるいは「御殿(ごでん)山」と呼ばれ、藩主の鷹狩り場の休憩所の御殿が建てられていたといわれる。
承応年間(1652〜1655)には藩士に功労をねぎらうために、遊息の地として分け与えられたという記録がある。
11代藩主藤堂高猷(たかゆき)は安政3・4年この地を家臣から買い上げて、ここに山荘造成を行なった。「御山荘」と呼ばれたが、偕楽園の名称は、園内の亭舎に「偕楽園」の編額が掲げられていたことによるもので、「人々が偕(とも)に楽しむ」という意味からきている。
明治4年(1872)の廃藩置県後、この土地は国有地となり一時荒廃したが、整備して明治10年(1877)4月、「三重県公園」として開設された。
翌年9月園内において「三重県内物産博覧会」が開催され、明治20年(1887)には倶楽部が建設された。明治40年(1907)には第9回関西府県連合共進会が開催され、4月1日から60日間に78万人の見物客で賑わった。
※公園内案内板より

明治40年(1907)第9回関西府県連合共進会の模様


古い地図



公園年表

安政3・4年(1856・1857)
  11代藩主の藤堂高猷が藤堂家の別荘を建設
  燈籠は江戸から高猷が持ってきたものとされている
明治4年(1877)
  廃藩置県後に国有地となる
明治10年4月(1877)
  三重県公園として開設。三重県公園記念碑建設
明治11年9月(1878)
  三重県内物産博覧会開催
明治20年(1887)
  倶楽部建設
明治24年(1891)
  松本宗一碑建設
明治40年(1907)
  第9回関西府県連合共進会開催
昭和10年(1935)
  殉職警察官・消防組員招魂碑
昭和38年3月(1963)
  県庁大駐車場にあった鳥居古墳発掘調査。
  その後、公園横県立博物館中庭に移し復元した。
  今から約1400年前後の古墳とのことです。
昭和45年(1970)
  八橋の池の横に「友愛の家」建設
昭和57年9月(1982)
  公園入口モニュメント「ふれあい」建設


公園入口モニュメント

公園入口


中央のモニュメント


モニュメントアップ


台座の文字


台座反対側の文字


右側の像



友愛の家

石碑


石碑の裏

※津ライオンズクラブ

友愛の家

※公園中央の池の付近

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